感覚のコントロール

 感覚のコントロールは、霊性修行者(サーダカ)にとっては避けて通れないものです。どんな霊性修行をしようとも、感覚のコントロールができなければ、あらゆる努力は無駄になってしまいます。感覚のコントロールとは五感(視覚、味覚、聴覚、臭覚、触覚)を正しく使うことを意味します。

  感覚のコントロールに関する御講話(私とあなたは一つです)より

 

感覚のコントロールに関するサイババの御言葉

 

  感覚のコントロールを伴わない霊性修行(サーダナ)は無益です。それは、水漏れする壷に水を注ぎ続けるようなものです。パタンジャリ(『ヨーガスートラ』を著した有名な聖者)は、舌を制すれば勝利はあなたのものである、と言いました。目や耳や鼻は、自然界の特定の性質一つを知る手段として役立っていますが、舌は、味を判断することと、コミュニケーションの象徴である言葉を発すること、という二つの目的で使うことができます。二つの点において、舌があなたを傷つける可能性があるのですから、用心に用心を重ねて、舌をコントロールしなければなりません。舌が何か美味しいものを欲しがるときには、その気まぐれには応じないぞと主張しなさい。もしあなたが、美味でも熱々でもないけれども、健康を維持するには十分である質素な食事を自分自身に与え続ければ、舌は数日間落ち着かないかもしれませんが、すぐにそれを喜んで受け入れるようになるでしょう。これが舌を制し、舌があなたの主人になるという悪い結果を打開する方法です。―1968年11月23日の御講話より

 

 感覚の制御よりも大切な霊性修行、サーダナはありません。感覚を制御しないのであれば、神の御名を繰り返し唱えることや、苦行といった霊性修行はすべて、全く無益なものとなります。あなた方は、人が感覚を制御することなど不可能なことだと感じているかもしれません。ここで言う制御とは、「完全に停止させる」という意味ではありません。家長として、学生として、ビジネスマンとして、あなたの義務を遂行しなさい。しかし、たとえ何をしようとも、神を喜ばせようという気持ちで行いなさい。(サルヴァ カルマ バガヴァッド プリーティヤルタム。)あなた方は、神に全託することはかなり難しいことであると感じています。しかし、私に言わせるなら、これほど容易なことはありません。一度この感覚を発達させれば、あなたの感覚すべてが自然と制御されるでしょう。古の人々は、あなたの真の姿であるアートマ原理を体験し、そのビジョンを得ることの中に至福がある、と語りました。感覚を正しく活用すれば、アートマの知識へと導かれるでしょう。1999215日の御講話より

 

「感覚器官のコントロール」は、神に捧げなければならないもう一つの花です。私たちの感覚は、何のコントロールもなければ、勝手に動き回ります。もし走る馬がコントロールされなかったら、危険をもたらします。神は、特定の目的のために人体の各器官を創造しました。私たちがこれらの感覚器官を、それらが創造された正しい道に沿って使う時、初めて私たちに神の恩寵を受ける資格が与えられるでしょう。興奮や不必要な悲しみがあると、私たちの内なる力は急速に減少するでしょう。精神的興奮や動揺のため、肉体もまた病に冒されます。興奮と悲しみのために、人は急激に老化します。あなたがこの神聖な道具を健全な状態に保っておけない理由は、これらの感覚器官のコントロールが欠けているからです。ですから、神を崇めるために、感覚のコントロールという第二の花が捧げられるべきです。1981512日の御講話より

 

 人間の体は善悪の原因となる諸感覚に縛られています。ですから、諸感覚を正しく使うことは人間の一番の務めなのです。同じことを、クリシュナ神は『バガヴァッド ギーター』の中でアルジュナに教えました。感覚のコントロールに欠ける人は動物にも劣ります。動物でさえいくらか感覚をコントロールするのです。しかし、人間はヴィグニャーナ〔現世的な知識、科学の知識〕、スグニャーナ〔正邪善悪を識別するための知力、科学を超越した知識〕そしてプラグニャーナ〔霊的知識、至高の英知、神の意識〕を授けられているにもかかわらず、自分の感覚をコントロールする努力をしていません。カーマ(欲望)、クローダ(怒り)、ローバ(貪欲)、モーハ(心酔〔この世のものへの執着〕)、マーダ(傲慢)、マートゥサリヤ(嫉妬)は動物の習性です。今日、人間はそのような動物的習性を増長させて、動物に成り下がっています。人間はムルガ(動物)でもムルンマーヤ スワルーパ(不活性な物質でできたもの)でもありません。人間は、事実、チンマーヤ(超意識)とチダーナンダ(至福)のスワルーパ(具現)なのです。そのような人間が動物的性質を増長させているとは恥ずかしいことです。人間は第一に自分の感覚をコントロールすべきです。シュラヴァナム(聴くこと)、キールタナム(歌うこと)、ヴィシュヌスマラナム(ヴィシュヌ神を憶念すること)、パーダセーヴァナム(神の蓮華の御足に奉仕すること)、ヴァンダナム(表敬)、アルチャナム(礼拝)、ダースヤム(隷属)、スネーハム(友情)、アートマニヴェーダナム(神我への全託)、これらは自分の感覚をコントロールするために処方された霊性修行です。これらは神へと至る王道です。そのような王道を断念し、人間はまるで森の動物のように振る舞っています。人間はまず自分の動物的な性質を取り除かなくてはなりません。そうして初めて神の段階へと昇ることができます。2003年3月16日 御講話より

 

 人々が霊的で有益な活動を行うよう求められるとき、最初からやる気のある人は一人もいません。それでもやはりやけになってはなりません。分別が芽生えるまでは、厳しく規律を守りなさい。この分別が修行の成果なのです。最初のうちは誰一人としてそれを持っていません。しかし絶えず訓練することが熱意を生み出します。乳児は母乳の味を知りません。毎日母乳を飲むことによってそれを好きになり始めるのです。実際、その味がとても好きになるので、母乳を止めて代わりにご飯が与えられるようになると、最初は嫌がります。しかし母親は諦めません。毎日少量のおかゆを食べるよう子供を促し、そのうちに子供はご飯を好むようになって、最終的に断乳するのです。乳児にうってつけの食べ物だった母乳は、自然なやり方で、今度はご飯に取って代わられます。実際今度は一日中ご飯がもらえないと、子供は悲しくなります。同様に、絶えず修行をしていると、世俗的・感覚的な事物に対する欲望は徐々に薄れていき、良い仲間(サットサング)が主流となるでしょう。-『バーガヴァタ ヴァーヒニー』第1章より

 

 心(マインド)にまとわりついている欲望は、内なる良心の輝きを損なう汚点です。あなたの感覚を制御しなさい。満足を求める感覚のしつこい要求に屈してはなりません。薪の上に遺体が載せられ、火がつけられると、遺体も薪もどちらも灰と化します。同じように、感覚を否認すれば、心(マインド)も消えるのです。心(マインド)が消えれば、迷妄は止まり、解脱に達します。霊的勝利を得るための最良の援軍は、神への信仰心です。もしあなたが主の光輝を瞑想することを大いに楽しむのであれば、どんな物質もあなたを魅了することはできないでしょう。他のものはすべて凡庸に見え、信仰深く謙虚な交友のみを好むようになるでしょう。あなたが信仰心と全託をもって行動するならば、あなたのあらゆる行動の中に恩寵が流れ込むでしょう。そのとき、それらはもはやあなたのものではなく、神のものとなるでしょう。そしてあなたはその結果についてまったく気にかけなくなるでしょう。あなたから生じる言葉と思いと行動のすべては、愛で満たされ、平安へつながるものとなるでしょう。1966317日の御講話より

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