欲望の制限

 欲望を制限することは、霊性修行者にかぎらず、幸せな人生を願うすべての人にとって、とても大切な課題です。それは、欲望には満たされるとさらにもっともっとと求めたくなる性質があり、欲望を満たそうと思っても決して満足には至らず、幸せにはならないからです。サイババは「欲望の多い人は貧しい人」といわれていますが、それは、現在に満足していないためなのでしょう。さらにサイババは「私たちが考えるより、はるかに少ないもので人は幸せになれる」といっています。人は何かを「私のもの」にしようとあくせくしますが、「私のもの」というものがそもそも幻想であり、この世には人に属しているものは何ひとつありません。また、感覚を満たしたいという欲望も同様に深みにはまってしまうことになります。そうなれば欲望や感覚が私たちを支配することになり、霊性修行者にとっても、あらゆる執着から開放されるという方向とは反対の方向に向いてしまうことになります。サイババは欲望をすべてなくしてしまいなさいと説かれているわけではありません。欲望を制限しなさいと説かれています。そして持っても良い欲望は神への欲望だけだといわれています。

欲望の制限に関するサイババの御言葉

 

 誰もが幸せになりたがります。誰もがより少なく働いて、より多くの利益を得ようとします。少しだけ与えて、十分にもらえることを望みます。しかし、別の道、すなわち、より少なく望み、より多くを与える、を試す人は一人もいません。あらゆる「欲しい」は、「進歩」の邪魔をする足かせです。若い大学生は、二本の足で自由に歩き回ることができます。結婚したら足は四本になります!子供が一人できると六本足です。彼らの動ける範囲は制限されます。足が増えれば、スピードは遅くなります。百足はのろのろと這うことができるだけです!ソファーや椅子、ベッドやテーブルを集めることは、部屋を物であふれさせ、移動は遅く危険を伴うものになります。欲望を減らして、シンプルに生きなさい。それが幸福への道です。執着は、その結果として悲しみをもたらします!最後には、すべての物とすべての人を置き去りにするように死が要求し、あなたは悲嘆に打ちのめされるのです!水面で咲く蓮のようになりなさい。水の上にあって、水の中にはありません。水は、蓮が成長するのに必要ですが、花を濡らすことは一滴たりとも許されません。-1969315日の御講話

 

 私は今日あなた方に、何があなた方にとって有益であるのかを告げましょう。あなた方はそれを毎日実践に移さなければなりません。あなた自身の必要と願望を放棄するようにしなさい。どうしてもなくてはならないものなのかどうかという基準で、一つ一つを吟味しなさい。あなたが自室の中に物を積み重ねているのなら、あなたはただ部屋を暗くして、ホコリを増やしているにすぎません。同じように、あなたの心(マインド)の中にも、過剰な物事を集めたり保存したりしてはなりません。身軽に旅しなさい。生活を維持し、健康を保つのに十分なだけを持ちなさい。パップ(アーンドラプラデーシュ州の豆料理)を美味しくするには、適量のウップ(塩)を入れなければなりません。塩を加え過ぎて、ダール(豆料理)を台無しにしてはなりません。もしあなたが欲望を加え過ぎたら、人生は耐え難いものになります。あなたの能力の中で収まる程度に、あなたの欲望を制限しなさい。永続する喜びをもたらす欲望だけを選びなさい。流行や人々が支持するものを追い求めて、あなたの財源を圧迫してはなりません。あなたの霊的進歩に基づいて、あなたの生活を規則正しく整えるあなた独自のルールにこだわりなさい。あなた自身の喜びや必要よりも大切な、他の人々の喜びと必要を優先しなさい!-1964819日の御講話

 

 「節制(欲望に上限を設ける)」という言葉には、1) 話し過ぎを制限すること、2) 過度の欲望と出費を制限すること、3) 食物の摂取をコントロールすること、4) エネルギーの無駄遣いをしないように注意すること、という4つの要素が含まれています。皆さんは、自分自身を維持するために、いくつかの日用品等を必要としています。皆さんはそれ以上のものを願い求めるべきではありません。この点に関して、自然から教訓を学びなさい。空気が十分に得られて初めて、快適で気持ちよく感じられるのです。もし風が強過ぎて、大風が吹いているときは、皆さんは不快に感じることでしょう。のどが渇いているときも、飲める水の量は限られており、ガンジス川全体を飲み干すようなことは出来ません! 医師たちは、体温は通常は華氏98.4度であることを知っています。それが華氏99度まで上昇すると、体の不調のために、熱が出たと言います。ですから、一定の限度を少しでも超えると、危険であったり有害であったりすることが分かるでしょう。

 - 1983119日の御講話より

 

 欲望は人間にとって楽しみの源ですが、それはまた悲しみの原因でもあります。心はコントロールしなければなりません。何千人もの人間が集まっても、高速で走っている列車を止めることは出来ません。しかし、ブレーキをかけると、すぐに列車は停止します。心の気まぐれさについても同じことが当てはまります。心をコントロールすれば、すべての悲しみが終わります。すべての人のハートに住む聖なるアートマ(真我)は、欲望の雲に覆われているために認識出来なくなっています。風が太陽を隠す雲を追い払うと、太陽の輝きが明らかになります。同様に、ハートの中の欲望の雲が、愛の風によって追い払われると、エゴ(「私」という意識)と所有意識(「私のもの」という感覚)が取り除かれ て、内なる真我の輝きが、その大いなる栄光と共に明らかになります。 - 199541日の御講話より

 

 人々は際限のない欲望に惑わされています。彼らは至高の純粋意識を忘れて夢の世界に住んでいます。欲望を管理してそれに制限を設けることは非常に重要です。私たちは、自分自身の楽しみのためにお金を使い過ぎる代わりに、貧しくて困っている人々を助けるためにお金を提供するべきです。欲望を制限するためには、あなたのお金を善良で崇高な目的のために与えることだけで十分であるという考え違いをしてはなりません。困っている人々のために与えることは善いことですが、あなた自身が欲望を増やし続けることに歯止めをかけることも同じくらい重要であって、この両方が行われなければなりません。物質的な欲望は落ち着きのない悲惨な生活をもたらすので、欲望を減らさなければなりま せん。欲望は牢獄です。自分の欲求を抑えることによって、初めて自由になることが出来るのです。あなたの欲求を、本当に生活に必要なものだけに制限しなさい。これが「節制(欲望を制限する)」の真の意味です。 - 19881121日の御講話より

 

 どの人も、どの家庭も、どの社会も、どの国も、可能な限りあらゆる方法で平和(平安)を求めています。人々は、絶えず幸せを求めています。しかし、彼らが求めている幸せとはどのようなものでしょうか? 彼らは世俗的な幸せやはかない楽しみを追い求めているのではないでしょうか? これらは真の幸せを与えることはできません。霊的なしあわせのみが真の幸せをもたらすことが出来るのです。人々はどうして幸せを失ったのでしょうか? それは、彼らが飽くことを知らない欲望に苦しめられているからです。これらの欲望は、様々な病気の原因です。欲望を制限し、欲望から生じる病気をなくすことによって、はじめて人は平安を確保することが出来ます。私たち一人ひとりが、最も望ましい目標である平安を手に入れるために、あらゆる方法で努力をするべきです。愛の化身である皆さん! 満足(サントーシャム)に勝る幸せはありません! 心の平安よりも優れた苦行はありません。 - 1997213日の御講話より

 

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