ニシカーマカルマ(無私・無欲の行為)

ニシカーマカルマ(無私・無欲の行為)に関するサイババの御言葉

 

 運不運や善悪に惑わされずに、安定した心で活動に携わるべきです。知性を浄化し、心を訓練しない限り、結果に対する執着を手放して、義務や献身的行為として、ものごとを行い続けることはできません。このような心の枠組みを培い、それを通じて、カルマ(行為)の束縛から自己を解放しなさい。あなたは、行為の結果を放棄するという難しい修行を実践するよりも、行為すること自体を避けるようにしたいと言うかもしれません。しかし、それは不可能なことです! 行為(カルマ)は避けることができません。人は、一瞬たりとも、行為から自己を解放することはできないのです。すべての行為や活動には、始まりと終わりがありますが、ニシュカーマ カルマ(無欲の行為。無私の行為)にはそのようなものはありません。それが通常の行為とニシュカーマ カルマの違いです。何らかの結果を得ようとして行為を行う時、人は、損失や苦痛、ときには罰さえも体験しなければなりません。しかし、ニシュカーマ カルマは、これらのものからあなたを解放します。

- 『ギーター ヴァーヒニ』第4 

 

 日常の活動や、感覚の対象に関わっている時に、その結果や成り行きに対して、いっさい利己的な関心がなかったとすれば、あなたは「私」、「私のもの」という感覚や、貪欲さや欲望に打ち勝つのみならず、そうした傾向から遠く離れていることができます。人の魂を解放する行為は、純粋で欠陥がなく、利己心がなく、揺らぐことがありません。そうした特質こそは、成果に対していっさいの欲望を持たずに行われる行為(ニシカーマ カルマ)という理念が重視されているゆえんです。ニシカーマ カルマ(成果に対していっさいの欲望を持たずに行われる行為)については、バガヴァッド ギーターの中で詳しく述べられています。この修行を実践するためには、真実(サッティヤ)、正しい行い(ダルマ)、平安(シャーンティ)、愛(プレーマ)を育てる必要があります。この道をたどっている人が、神の御名を憶念する修行を合わせて行うとすれば、それ以上の喜びと至福を得ることの出来る場所が、他にあるでしょうか? それ(神の御名を憶念しつつニシカーマ カルマに携わること)は最高の満足を与えることでしょう。 - 『ディヤーナ ヴァーヒニ』第1章「瞑想の力」 


 神に向かう旅の途中でぐずぐずしていてはいけません。あなたは、進むべき行程に備えてガソリンタンクに燃料を満載するでしょう? 長い間自動車を車庫に入れておこうとするときは、タンクを一杯にはしません。さて、肉体も同じことで、神に向かって旅ができるように燃料を入れなければなりません。その旅は、行動(カルマ)、すなわち、善良で私心のない行動を通じて行われます。…この無私(ニシュカーマ)の態度を身につけるのに適した道は献身です。献身は、あなたが神に強い信仰心をもっているときに初めて可能になります。信仰は、霊的努力(霊性修行)を通じて、着実なものになります。- 1963915日の御講話より 


 霊的成功を収める最もストレートな方法は、ニシカーマ カルマ(無欲の行為)その行為の果実(成果)に注目したり執着したりすることが一切ない行為、義務としての行為、献身としての行為、礼拝としての行為です。しかし、行為とその成果は、二つに分かれた存在ではありません。成果は行為そのものであり、基本的には、行為の最終段階です。それはクライマックスであり、結論です。花は果実であり、果実は花です。一つが始まりで、もう一つはその正当な締めくくりです。花は果実になります。同様に、行動には結果が伴います。その人の義務は行うためのものです。よい行動をしなさい。神を恐れながら行動しなさい。道徳の範囲内で行動しなさい。愛の中で行動しなさい。そして行動し続けなさい。花の後に果物が生じるように、その結果は自然に生じるでしょう。心配したり、大喜びしたりする必要はありません。信念と熱意をもって、行動しなさい。成功はあなたの手の内にあります。1968327日の御講話

 

 

 

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